沖縄の人は、なんてゆたかなんだろう。
そう思ったのは一度や二度ではなく、沖縄に住みはじめてからというもの、ゆたかな人生というものに憧れるようになった。
はじめて意識したのは、夕陽を見に海に行ったときのこと。夕暮れどきの海にはすでに先客がいて、観光客がずらり、と思いきや、地元の若者たちがじっと座って夕陽を眺めていたのである。
そのときの感動は今も鮮明に思い出せる。はしゃいだりお酒を飲んだりするわけでなく、静かに沈みゆく夕陽を眺めるうしろ姿。その姿を見て、若くしてこの景色の価値を知っているんだ、と驚いた。
もうひとつ、憧れた姿がある。食卓にならぶ器だ。
ふだん洋服や靴にぜんぜんお金をかけない人が、家にお邪魔するととても味のあるやちむん(沖縄の方言で「焼きもの」)で料理をふるまってくれたのだ。これまで食べたい量が入ること以外、器にこだわったことがない私は、器がこれほど食卓を彩るとは思わなかった。
しかも「ていねいな暮らし」を意識しているわけじゃない。毎日同じビーサンを履き、Tシャツにジーパンのラフな格好で過ごす人が、一点ものの味わい深いやちむんに豪快にゴーヤーチャンプルーを盛り付ける姿。家庭的でありながら、湯気を放つ器がなんとも力強く、その食卓のゆたかさに心底憧れたのだ。
すばらしい景色を眺め、日々の食卓をお気に入りで彩る。そんな人に私もなりたいなぁ、と思ったのは沖縄に住みはじめて2年が経ったくらいから。今では私も、ときどき夕陽を見に出かけ、毎日の料理やおやつをお気に入りのやちむんに盛り付けて食べている。
このゆたかな暮らしがずっと続けばいいなと思いつつ、器も器で買いはじめたら止まらないので、次はじっくり選ぶというていねいさを身につけたいところである。
首里石鹸
ライター 三好優実