Blog

首里散歩vol.152 お裾分けはお福分け2022年10月1日

気持ちよく目が覚めた土曜日の早朝、急に、ちまきが食べたい気持ちになった。
「そうだ、前々から気になっていたお店に行ってみよう♪」と鼻歌を歌いながら準備を始め、足早に家を出る。開店間際のお店の前につくと、すでにいい香りが漂っており、食べる前から思わず笑みが浮かぶ。

袋一杯に購入したちまきの重みを感じながら歩いていると、ふと祖父の口癖を思い出す。

「美味しいものは皆で食べるともっと美味しくなるさ~。」

そう言っては、何か買ったり、もらったり、自分の畑で採れた時などには、必ず皆に声をかける祖父。
たまに声をかけすぎて、私の分はすでに誰かが貰っていて無い、なんてこともしばしば。それでも「貰いにおいで~。」と皆に電話がくる。

(写真:よくお昼寝した畳間から見える、祖母自慢のお庭。)
(写真:金壺食堂さんの黒米ちまき)

幼い頃、兄妹が多いから、遠足などの特別な時以外、家にお菓子が無かった私にとって、たまに祖父母の家で出てくるお菓子はとても特別な楽しみだった。

そんな特別なお菓子が、たとえどんなに小さなお菓子でも、均等に分けてくれる祖父に、
「じゃんけんして、勝った人がもらえるじゃダメなの~?」と聞いては、「ゆーきー、皆で食べるから、さらに美味しく感じるんだよ~。一人で食べても、まこーねーんどー(美味しくないよ~)。」と優しく言い聞かされては、「大人になったら、絶対自分だけで食べるんだ!」と密かに思っていた。

(写真:よく遊んだ、祖父母の家の裏庭。)

実際、大人になって自分で食べたいものが買えるようになってからは、“頑張った自分へのご褒美♪”と称して、大好きな桃を冷蔵庫に隠して食べたりもしたが、年々、祖父の言っていた、「美味しいものは皆で分けた方が美味しい。」という言葉を実感するようになった。

それに、普段「あれが食べたい。」と滅多に言わない祖父に、
「美味しいさー。またん、ゆたしくうにげーさびら♪(また、よろしくお願いします♪)」と言われると、美味しいものを自分で食べる以上の幸福感が味わえる気がする。

首里石鹸 中里 有紀子