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首里散歩 Vol.333 きれいな海と展望台

これは大げさでもなんでもなく、ふと見た離島の景色に考えが大きく変わったことがある。

その日、わたしは渡嘉敷島にいて、到着してすぐから友だちと海で遊んでいた。
ビーチにはたくさんの人がいて、子どもがキャッキャと笑い合う声と、それを眺めながらぼんやりする大人、転んで泣いている子もいる。複数人で乾杯している男性の集団は今にも脱ぎ出しそうなはしゃぎっぷりで、その近くに日光を恐れてパラソルに非難する色白の女性がいた。

さまざまな人がさまざまな様子で島の海を味わう様子をうれしく眺めながら、わたしもビールをしこたま飲み、大いにはしゃいだ。

きれいに酔っ払い、お昼寝をした後、みんなで島の名物ともいえる展望台へ向かう。アルコールの残る体で、坂道にヒーヒー言いながら登りきった。

展望台から見える景色は圧巻だった。とても素敵で、息をのむと言う表現がぴったりだった。実際は息をのまずに大きな声で「わぁーー、きれい!」「うみーー」と叫んだのだが、その声は空の壮大さにかき消されてちっとも恥ずかしくない。

絶景のなかに、わたしたちが日中遊んでいたビーチが見えた。高台から見るビーチはとてもきれいで、だけどふと、近くで見たときの楽しい感じはここからじゃ分からないなと思った。

子ども達の大きな笑い声も泣き声も、大人たちが乾杯する缶と缶がぶつかる音も、ここからじゃ聞こえない。そもそも人がいるかどうかもよくわからない。

当時は会社員だったので、(ああ、そりゃ社長からはわたしたちの悩みなんて見えないよな)と変に紐づけて、少なからずあった不満を些細なものだと思うことにした。同時にこうも思った。

高いところを目指すべきだと思っていたけど、本当にわたしは高いところが好きだろうか。

高台から見る美しい景色は感動的だし、澄んだ空もこの島の全体像も、ビーチからは見えなかったものだ。見に来てよかったと心から思う。だけどわたしが長く見たいと思うのは、きれいな景色よりも楽しい景色かもしれないなと思った。少なくともわたしにとって心地いいのは、人の息づかいが聞こえる距離感な気がする。そう思った途端、肩の力が抜けていくのを感じた。

これはかれこれ6年くらい前のことだ。その後わたしは会社を辞めて、フリーランスになった。

フリーランスはとってもお得な働き方で、ありがたいことに展望台の上に立つような仕事もあれば、ビーチで子どもと遊ぶような仕事もあり、ビーチの環境を整備するような仕事もあって、どれも割と楽しい。だから今は、選ばなくてもいいんだな、むしろ色々試してみるのがいいかもなという気持ちで落ち着いている。

あの日のうつくしい景色から感じた気持ちが、今も進化し続けている。そのことが今は楽しく、これからも自分らしく進化していければと思っている。

ライター
三好優実