2年前、25歳のときにビーチサッカーという競技に出会い、沖縄へ移住した。

両親に絶対に引き留められたくなかったから、
「沖縄のビーチサッカーチームに入団させてもらえることになったから、仕事辞めて沖縄行くわ。」
と、事後報告のように伝えた。
「あんたが決めたことなら引き留めないよ。」
返ってきたのは、予想通りの答えだった。でも、その言葉の裏には、心配や不安が渦巻いていることが容易に想像できた。
むしろ、あえて何も言わないことこそが、親としての精一杯の気遣いだったのかもしれない。
ホッとしたような、申し訳ないような気持ちが入り混じる。そして、自分の選んだ道である以上「絶対に成功しなければ。」というプレッシャーが、じわりと胸の奥を締めつけた。
・・・
いざ沖縄に住み始め、練習が始まると、想像以上の過酷さに打ちのめされた。
死ぬほど練習がキツく厳しくて、「沖縄って地獄じゃん」と思った。

当然、試合にはまったく出られない。
そんな状況だから、たまにくる実家からの連絡にも、いい報告ができなかった。
「まあ、あんたが決めたことだからね。でも、将来のことも考えなきゃいけないよ。」
両親はそう言うようになっていた。
心配をかけたくない。
でも、簡単に「順調だよ」なんて言えない。
何も言わないことで余計に心配させているのではないか、と考えると、ますます言葉を選べなくなる。
それでも毎日、死に物狂いで砂浜を駆けずり回った。
自分で決めたことだから、絶対に投げ出すことはできなかった。

ビーチサッカーを始めて1年ほど経ったころ、ようやく試合に出られるチャンスをもらい、両親にも応援に来てもらえるようになった。
綺麗な海を背景に、音楽が流れる中で繰り広げられる迫力あるプレー。いつの間にか、2人ともすっかりビーチサッカーにハマり、「次の試合はいつ?」と何度も聞いてくるようになった。
しかし、応援に来てくれた試合で負け、悔しさのあまり、まともに話すことができなかった。そんな自分に、母が言った。
「こんなにたくさん応援してくれる人がいるのに、あんたがそんなんでどうするの? まだこれからでしょ?」
負けた悔しさが、ほんの少し和らいだ。
どんなに苦しくても、支えてくれる人がいる。
そして、自分にはまだ先がある。
ビーチサッカーの世界は、厳しい勝負の世界。
圧倒的に上手くいかないことばかりで、打ちのめされる日々。
それでも、両親と、広がる海の前で、一緒に歓喜の瞬間を味わいたい。
だから今も、沖縄に来たばかりの頃と変わらず、死に物狂いでビーチを駆けずり回っている。

首里石鹸 佐藤りょうすけ