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首里散歩 Vol.386 アンマー(母)と繋ぐ手

9月15日(月・祝)は、敬老の日。 沖縄では、敬老の日とは別に、“トーカチー”という88歳のお祝いをする習慣がある。

*トーカチとは、米寿祝いのことで「トーカチユーエー(斗掻祝)」といいます。沖縄では毎年旧暦8月8日に、数え年88歳の長寿を祝います。トーカチとは、元々米の升切りに使う竹の斗搔(とかき)のこと。祝いの日に大きな器に米を盛り、その中にたくさんの斗搔を立てて“あやかり”として、お祝いに来た客に配ったことから、米寿祝をトーカチと呼ぶようになったそうです。

私の母も昨年、88歳を迎え、とうとう仕事を引退すると決めた。

いやむしろ、「とうとう」ではなく88歳まで働き続けることができた努力と、それを支えてくれた周りの環境こそが尊敬以上の奇跡だと思っている。

物心ついた時からずっと働いていた母。

最初は一日中家で過ごす姿を見ることになるなんて、想像できなかった。そして引退を決めたあと、母は「これからの人生はゆっくり休みたいの」と言い、わたし達の生活が一変することとなった。

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私がまだフルタイムで働いていた頃、母も働いていたにも関わらず、孫である私の子供達のお弁当作りをして仕事に行き、自分の仕事を終えたら夕食を作り、わたしが残業や遅番の時は帰るまで待っていてくれた。

その時の私は、仕事を言い訳に何もしてなかったことを今更ながら反省している。

当時は母に向かって「お母さんの体力はオバケみたいだね〜」なんて言いながら手伝ってもらうのが当然のように思っていたのであった。

実際は体力があることと、それ以上に、孫への愛だけで身体を張って頑張ってくれていたのだと今になって気づく。

引退後の母は、食べたいときに好きなものを食べ、眠くなったら眠るという、欲求のままの生活を送るようになった。

もともと社交的ではなかったこともあり、人と会う機会も減ってしまったという。

心配ばかりしても仕方がないと思い、「これから月に何日かはうちにおいでよ」と声をかけた。

ところが、その先で母の変化に愕然とすることになった。

昔から何事も完璧に行い、厳しかった母の口から「忘れちゃった。」と、聞いたことが無い言葉を毎日のように繰り返し発している。

出歩かなくなったとたん、足腰の弱さが顕著になり、お風呂の時間になると、「眠くなってきたから明日にする。」と言い、“ 風呂キャンセル界隈 ”を何日もやり私を困らせる。

母が老いていくスピードにわたしのほうがついていけなかったけれど、でも1番やるせないのは今まで出来た事が出来なくなっていく母自身なんだと気がついた。

一緒に歩くときは、わたしの手を繋ぎ腕にしがみつくように頼られ、なんだかちょっと照れくさいような不思議な気持ちになり、 そして手を繋ぐようになってわかったことはいつも温かかった母の手が昔より冷たく、頼りないくらい骨ぼねしていることだった。

そういえば、昔は手のパックをしたりクリームを塗ったり、手のケアをするのが好きだったよね。

そんなことを思い出し、第一関節が曲がってしまったその指先をゆっくりと伸ばしてあげるようにハンドクリームを塗ってあげた。

わたし:
お母さん、これ沖縄のデイゴっていうお花の香りだよ。

母:
デイゴ?

わたし:
こっちのはプルメリアとリリーっていうお花の香り。リリーはユリの花だからおばあちゃんがユリ好きだったよね?

母:
へぇー、いい匂い!

両手を鼻に近づけて深呼吸するように香り、少女のようにニッコリ微笑んでくれる。

実は昨日と同じ香りなのに認知機能の衰えで忘れてしまうから、また次の日も同じように新鮮な反応をしてくれる。

そして母の手に触れ、ハンドクリームを塗りながらたわいもない話しをするのが日課となった。

本当は母のためと言いながら、わたしが幸せな気持ちになるからかもしれない。

お母さん、 これからもクリーム塗りながら、いっぱいお話ししようね。あと何日、何回、手を繋げるのかな―。

いつか居なくなっちゃうなんてまだまだ想像できないから―。
いつまでも元気で、そして長生きしてね。

ライター
まちこ