「マブイ(魂)落としたんじゃない?」
そう言われたのは2回目だった。
5月に交通事故に遭ってからというもの、仕事や私生活が妙に不調だったのだ。
結構な交通事故だったし、メンタル的なものなのかな?と思っていたが、「マブイを落としたんじゃない?」と言った友人はふたりとも妙に真剣だったし、あたたかいものを食べながら聞いたからか妙に納得感があった。

なんとなく不調を改善するために来たお店のほうとう
そうかわたしはあの時あの場所に、魂を落としてしまったのか。
聞けば、沖縄では、驚いたりショックを受けると「魂が落ちる」と考えられているらしく、魂を落としたら拾うための儀式をするらしい。
ちゃんと儀式をした方がいいと言う友人に「あとで調べてみる」と返事をしてバイバイした。
が、なにせわたしは不調である。
調べる気力がぜんぜん湧かない。
ぼんやりと運転していると、別れたばかりの友人から電話がかかってきた。なんとマブイ拾いの儀式をおばあから聞いたから、今から一緒に拾いに行こうと誘ってくれたのだ。
ありがたすぎる!とさっそく事故現場へ。

写真はイメージです。実際の事故現場ではありません。
友人は酒や塩、小さな皿など、なにやら本気なグッズを揃えてくれており、皿に塩を盛ったりなにかを燃やしたりして、それっぽいことを手際よくやってくれた。
わたしはただ隣で手を合わせながら
「おばあ直伝のマブイ拾いの儀式なんて、移住者が見られるものじゃないね」「ありがたや~」と言いながら合わせた手を上下にさすった。

それから1か月。
儀式当日や翌日は何も変わらなかったが、その日を境にじわじわといろんな流れがよくなった。
保留になっていた仕事がいくつかはじまり、読めなくなっていた本が読めるようになり、楽しいと思う時間が増えた。止まっていた時間が急に動き出した感覚だった。
もちろんプラシーボ効果かもしれない。
だけどやっぱりマブイは落ちていたのだと思った。
元気になったら、急に「マブイを拾う」という考え方が、とてもおかしく思えてきた。魂のような壮大なものも「落としたのなら拾えばいいさ~」というノリで儀式をするところが、なんとも沖縄らしい。
大きな力を信じていて、だけどそれを“手が届かないもの”としてしまわない。その神秘との距離感は、わたしが沖縄を好きな理由のひとつかもしれない。
ライター
三好優実