先日、戦争を題材にした有名な映画をテレビで母と一緒に見た際、中学生の主人公と妹にかける親戚のおばさんの心無い言葉、助け合いなど存在しない戦時中の日本の描写にすごく居た堪れない気持ちになり、途中で「私、もう観るのやめる!」と母に言った。
テレビを消しても残るモヤモヤ。思わず母に、「お母さんも当時を思い出したり、嫌な気持ちにならなかった?」
…そうだね…って、
共感してもらえるつもりで言ったら母の口から出たのは…
「別になんとも思わない。だってそれが普通だったから。みんな周りがどうかなんて考えてたら生きられない時代だし、そんなことしょっちゅう起こってたよ」
続けて母が自分の当時を語り始めた。
「小学校低学年ぐらいだったとき、母(おばあちゃん)は学校の先生の仕事があって家にいなくてね、空襲のサイレンが鳴ったら1人で防空壕に逃げなさいって言われてたから、ガリガリの身体で小さい仏壇を背負って一生懸命走って行ったら、防空壕の入り口に近所の人がたくさん集まっていて
「もう人がいっぱいだからエミちゃん(母)は入れないよ!」って知り合いのおばさんから言われたね…
そういう世界だよ。
「そのまま家に戻って、仏壇背負ったまま縁側に腰掛けて空見てたら飛行機が見えたから、思わず手ぇ振ったの。
だんだん近づいてきてわかったけどそれがアメリカの飛行機でね、兵隊さんと目が合ったけどなんでだかそのまま飛んでいっちゃったよ。あのとき爆弾落とされなかったのが不思議だねぇ」
…母の強運と、天然さに言葉が出ない。
続けて母はこう言った。
「そういう時代生きてきたから、仕事だってなんだって多少の意地悪なんかもあったけど受け流すことが身についたね。他人の言うことなんて気にしてらんない、ふーん、あっそ。ってなもんだよ」
昭和初期を、命をかけて生き抜いた人達には、相応しい言葉がわからないけれど、根底が作り物じゃない。
私たちはとうてい敵わない天然の鎧を纏って自分を守る術が身についているようだ。

2025年の今年は、沖縄戦後80年として、さまざまな追悼や平和継承を目的としたイベントが開催されていました。

たくさんの人が亡くなってしまった場所へ行くとその時の悲しみや苦しかった雰囲気を必要以上に共感してしまうわたしは、あえてそういう場所の観光を避けてきた。
けれど、たとえそういう場所へ行けなくてもその時代の経験を観たり聞いたりすることで平和な今、あり得ない現実だったことを知るのだけで人生の経験値になるんじゃないか?
身の回りの小さなこともそうだけれど、世界で戦争が起きているなんて日本にいると現実的ではないし、生きていると白黒つけなくてもいいことはたくさんあるんだから、どうか小さな自分も大きな世界も、争わないで平和でいたい。

なんてことを、ぬくぬくとコーヒーを飲みながらただ思うだけの自分は、最期がわからない人生の後半を折り返してもまだまだ精神修行が必要なようだ。

ライター
まちこ