お月見の習わしが地域によって少し違うことを、実は最近知ったばかり。

美しい月を観賞しながら、収穫に感謝をする秋の行事のお月見。
沖縄では、月を観賞するだけでなく、火の神様(ヒヌカン)や仏壇にもお団子を供えて祈る習慣がある。
そのお供え団子はフチャギと呼ばれていて、お餅のまわりに塩茹でした小豆をたっぷりとまぶして、形もまんまるではなく楕円。
小豆の赤色を〝魔よけ〟として、潰さずたっぷりまぶすことは子供に見立てて子孫繁栄を願う意味があるのだそうだ。
そこで私も沖縄の伝統とパワーにあやかって、「沖縄フチャギ風・本州式お月見団子」を作り、コラボレーションも愉しんでみることにした。

伝統的なフチャギは塩味だけれど今は甘いタイプや紫芋味なんていうのもあるらしい。
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お月見といえば昔、息子が保育園から帰ってきた十五夜の日こと―。
夕飯の支度をしていると、
「お母さん、十五夜のお団子いつ飾るの?」と聞いてきた。
「??お団子は飾らないけど‥」と答えると、
「えっ?!お団子飾らないの??!!と、目をまんまるくする息子。
どうやら保育園で習った十五夜を〝お月見団子を食べられる日〟と解釈してきたらしい。
今までお月見を家でしたことが無かったのに、まるで毎年食べていてまさか今年だけ無い?!!みたいな驚きよう。そしてガックリと肩を落とす息子を見た私は、夕食づくりをいったんやめて近所のスーパーにお月見団子を買いに走った。
夕食後、お月見をしながら嬉しそうにお団子を頬張っている息子。
その姿を見ながら、夏の終わりから聴こえていたはずの虫たちの声や半分だけ開けた窓から入ってくる秋の香りの風を感じた。
「明日の保育園でお月見団子食べたことをみんなにお話しできるなぁ。」と親としての安堵もあって、平日の夜にもかかわらず不思議とゆったりした気持ちになれたのを覚えている。
日本には四季折々の小さな行事や、季節ごとの移ろいを楽しめる文化がある。
けれど当時の私は、毎日を走り抜けるのに精一杯で、目の前の景色を心で感じる余裕がなかった。

季節の行事は、やらなくても問題なく日々は過ぎていく。
けれど、走ることを急ぐ私を立ち止まらせ、自然の小さな変化に気づかせてくれる。
そしてまた次の季節を走り抜けるための“心の支度”にもなっていった。
それを教えてくれたのは、食いしん坊で無邪気だった息子。
あれから四半世紀、幼かった息子はもう31歳。

神様が引き合わせてくれたとしか思えないくらい素敵な女性に出会い、そしてパートナーとなった。
ふたりで過ごすこれからの日常が、いつの日かの懐かしい思い出になるといいな。
ライター
まちこ