ガジュマルを買った。
ガジュマルといってもあの大木ではなく、ちいさな観賞用のガジュマルだ。
1年前から夫が欲しがっていて(だけどピンとくるものに出合えず)、口を開けばガジュマルガジュマルと言うので、私も気付けばガジュマルを探すようになっていた。
そんなある日、いつものように息子と散歩をしていたらオーガニックショップを見つけた。徒歩じゃなければ気づかないような場所にある、ちいさなお店。
気になって入ってみると、なんと観賞用のガジュマルがあるではないか。しかもかわいい。これが家にあるとうれしいと思った。
すぐに夫に報告。後日みんなで買いに行った。
数種類あるガジュマルはどれも少しずつ形や大きさが違い、それぞれにかわいい飾りつけが散りばめられていた。
どれも素敵で迷ったけれど、私たちはぽてっと丸みがあり、前のめり気味なガジュマルに「これがいい」と指をさす。夫婦のくせに意見が合うことはめったにないので、同時に「これ」と言うのは珍しいことだった。
こういう買い物はアタリである。即決し、お店の方とおしゃべりしていると「このガジュマルは神んちゅ(沖縄の霊能者)が育てたんですよ」と教えてくれた。
神んちゅが育てたガジュマル。ガジュマル自体やたら神々しい植物だと思っていたけど、さらに神んちゅが育てたのか。もはや神だ。ガジュマルをもつ手がすこし震えた。
帰宅し、たてまつるようにしてガジュマルを飾った。そしてその日以来、嘘みたいにいいことが続く。
…ということはもちろんない。だけど家にガジュマルを置き、枯らさないよう気にかける日々がなんだか気に入っている。
いいことが続くのが幸せなんじゃなくて、悪いことがあっても立ち向かえることが幸せなのかもしれない。日常という土台が愛しいから、幸せを諦めずにいられるのだ。
真っ黒な鉢に全身を沈め、前のめりに傾くガジュマルを眺めながら、そんなことを思った。
ライター
三好優実