私には、会うと自分のコンディションがわかる人がいる。
自分らしさを生かして、伸び伸びと育ち、それを活かした『仕事』に就いている人。
沖縄の子ども達に、その極意を、人生の楽しさを伝える使命を実行している人。
世界を沖縄につなげることができる人。
最初は、出会えたことに感謝して、まるで自分も子どもに戻ったように、話を聞き入った。
そして、次第に、つい、話しかけて、どんな子ども時代だったのか、どんな活動をしているのかを確認していくと、いつも共感度が急上昇して、会話から伝わる人柄に魅了されて、この感性を感じられる機会を大切にしたいなと思う。
でも、ある時、いつもは童心に戻れる話を聞いて、眩しすぎて哀しくなったことがあった。
輝けば輝くほど、眩しくて、話ができない。
今日はもう帰ろう。自分が持っていたはずのものも探す力が吸い取られていく。
目指していても、自分がなかなか届かない場所。
特に、今日は、すごく距離を感じてしまう場所。
そんな時、また違うところで、世界と沖縄をつなげる架け橋のような人に出会う。
また心が動かされて、話を聞きたいと、止まっていた歯車が動き始める。
今度は、眩しさが活力を生んで、これからの夢の一歩がイメージできて、ボランティアの活動で自分も参加が叶った。
目指すところが近くても、進む一歩一歩は、それぞれに違う一歩なんだと振り返る。
大きな夢の入口の眩しさを、子ども達と一緒に感じ、自分の道を探すこともまた、あの眩しさの一部なのかもしれない。
そんなことを感じた日は、いつもの口調の眩しさを、感じ取る目に力がこもった。
ライター
首里石鹸 白鳥恵子