リメンバーミーの直訳は、
「わたしを思い出して」
日々、今この時を生きているわたし達にとって毎日のやること生きることに精一杯、あっという間に1日が終わってしまう。
会えなくなってしまった誰かに
ゆっくり想いを馳せる余裕がない日もたくさんあります。

毎年この時期わたしは、海外の〝死者の日〟を題材にした映画を思い出す。
物語の中で、音楽が好きな少年が死者の国に迷い込んでしまう冒険の物語なのですが、その話の奥に、生前に知り得なかったご先祖様が残した理不尽とも思えるメッセージに深い意味と思いがあったこと知ることができたり、
逆に、伝えることができないままこの世から離れた人がもう一度メッセージを伝えることができる、誰もが願うことを実現させてくれる内容に心がじんわりするお話しだ。

わたしが育った環境は、お盆に家庭で迎え火や送り火などする習慣がなく、最近ではスーパーでホオズキやお菓子が並べられ始める頃、夫の両親の写真の前にそれをなんとなくお供えしてみたりしている。
お墓参りは年に数回、家族全員集まらなくてもその時行ける日に、行けるメンバーで。
着いたらお掃除、お花、お茶とお線香、掌を合わせるまで10分かそこらのスピード参りが普通のことだと思っていた。
一方で、墓前にたくさんの親戚が集まり、美味しいものを囲んで楽しい時間を過ごすという沖縄の晴明祭(シーミー)や十六日祭(ジュールクニチー)などの存在を知ったときは、それができる沖縄のお墓の広さも然り、ピクニックのようなイベントのような、お墓で楽しい時間を過ごすということ全てが、ちょっとしたカルチャーショックでもありました。
ご先祖様側になったつもりで考えてみてもこの習慣は、きっとすごく嬉しくて地域ならではの日本に誇る習慣であるに違いない。

…そして、40年以上前に亡くなってしまったというお友達の命日に、毎年お墓参りに行っている夫。
生きていたらきっと集まっていたであろうそこに眠る友人と、同級生の3人でお酒を一杯交わし、立ち話しながら30分ほど時間を過ごす。
近所とはいえ毎年、40年近く欠かしたことはないというその形跡が、若くして大切なご子息を亡くされたご両親にもきっと、深く心に響く行いだと想像できます。
お墓でお酒を交わすって…これももしかしたら小さな沖縄スタイルかもしれない。
それを何十年も自然に続けているって、あらためてすごいことだなぁと尊敬する。
…話しは戻り、映画では今生きてる人に思い出してももらえない故人は、年に一度の死者の日にこの世にいったん帰るためのゲートを通ることもできず、やがて姿が薄く透明になり、その存在すら無くなり忘れられていってしまう…
という、想うことの儚さも描かれているのがとても印象的だった。

ただ想うだけでも存在が消えず、それが供養にもなるのなら…
お墓参りに行かなくても、墓じまいや散骨などでたとえお墓が無くても、お盆じゃなくても、
空をみて、かつて一緒に時間を過ごしたペットや故人をただただ、一瞬でも想い出すことだけで最高の供養になるんだろうなぁ、そう思える。

世に語り継がれる有名人でもない限り、いずれ先祖の立場になる時がきて長い年月が経てば〝わたし〟という存在すら知る人もいなくなってしまうのですから…。
私自身は、少なく見積もってもあと30年はこの世からいなくなる予定はないつもりですが…
それまでは、来るべき時にやり残したことなく潔く行ってきますと言えるように、精一杯生きてみよう!
毎年この時期、そんな気持ちになっています。
ライター
まちこ