先日、地元香川に帰省した。
ちょうど桜が満開シーズンだったので、息子に”ホンモノ”の桜を見せたい!と近くの公園に向かうことにした。
公園につくと桜はしっかりと満開で、それはそれは美しく咲いていた。
とてもきれいな桜をみて、きれいだなぁ、よりも先に浮かんだのは「私、沖縄に染まったんだなぁ」という感想。桜ってこんなに白かったっけ?と思ったからだ。
香川に住んでいたころは、見るたびに「桜だなぁ」と思っていた花のことを、瞬間的に「桜だなぁ」と思わない自分に驚いた。私にとっての桜が、ソメイヨシノやヤマザクラではなく、沖縄に咲く緋寒桜になっていたのか…。
私が香川県で毎日見てきた景色は、私にとって長らく”ホンモノ”だった。緋寒桜は珍しい桜で、ソメイヨシノやヤマザクラが桜の”ホンモノ”であり、オーソドックス。
だけどいつの間にか、暮らしているうちに桜の色が変わっていたのだ。そしてきっと空の色も、海の色も、道の色も、変わっているのだと思う。そしてこれからも変わっていくのだろう。
先日息子が保育園に入園した。
息子を保育園に送り、ひとりでいつものお散歩コースを歩き、帰路につく。
息子が生まれる前は、ふつうにひとりで歩いていた景色なのに、この景色をひとりで見るのはさみしいと思った。
息子の景色も、いつか変わる。
息子にとって今、”ホンモノ”の桜は緋寒桜であり、青々とした空であり、突然降る雨であり、吸い込まれそうに青い沖縄の海だろう。そしてその景色の一部に、私も含まれているのだろう。
だけどこれから、景色のひとつひとつに私がいないことが増えて、私の知らない景色をたくさん見るようになる。だんだん見る景色を自分で選ぶようになり、そして”ホンモノ”は彼の感性と縁によって更新されていくのだろう。
そう思うとさみしくて、だけどなんだか楽しみで、だけどやっぱりさみしくて、すこしだけ泣いて、すこしだけ笑った。
ライター
三好優実