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晴れ時々、首里 Vol.22 変わらないために、変わり続ける。

ふいに母が「ぜんざい食べたくない?」と、笑いながら呟くのが、2人だけの秘密の合図だった。

※写真:富士家のぜんざい。氷にも味がついているのが特徴。沖縄の「ぜんざい」は、黒糖や砂糖で甘く煮た金時豆にかき氷を乗せたもの。

父を職場に送った帰り道、「これ、これ、この味が無性に食べたくなるのよね♪」と、嬉しそうにぜんざいを頬張る母と、「美味しいね♪」と笑いあいながら食べた思い出のぜんざいは、今では地元の人のみならず、沖縄を訪れる観光客の方々にも愛されている。

今回の「晴れ時々首里」では、創業から33年間、様々な波を乗り越えながら、“ぜんざいと言えば富士家”と言われるほど、地元の方々に愛され続ける「ぜんざいの富士家」さんの、これまでの足取りとこれからのカタチを取材させて頂きました。

※写真:ぜんざいの富士家 泊本店。
※写真:オーナーの大嶺 隆さん。

「初めて、ぜんざいを作ったのは21歳の頃。若さゆえの勢いしかなかったですね。(笑)」そう話すのは、ぜんざいの富士家オーナーの大嶺 隆(おおみね たかし)さん。

高校1年生の頃から始めたサーフィンを通して出会った仲間たちと、ある日「ピザ屋のようにぜんざいをデリバリーしたら、喜んでもらえるのでは?」という思い付きから、自宅屋上の私室に鍋や冷蔵庫、冷蔵庫を持ち込んで、ぜんざいを作り始めたのがスタートだった。まずは4か月限定でやってみようと、自分でチラシを作っては配り、電話線を引いて、注文が入れば、どこにでも持って行くなど、無我夢中で働いた。

隆さん 「あの当時は、1日に10件電話が来ればいいぐらいでした。ですが、21歳の僕からするとこの10件に、すごい喜びがありましたね。」

4か月のお試し期間が終わった後は、季節労働で必死に開業資金を貯め、1年後、自宅近くの10坪の店舗を借りて、ぜんざいの富士家をスタートさせた。

隆さん 「暫くしてから、今の場所に移動したのですが、初めは今の店舗の3分の1の広さからスタートしました。外装・内装関係なく、自分たちで直せるところはすべて直していましたね。そこから、1年2年と、少しずつ店舗を増築していき、3年後には、今の店舗の広さにすることができました。」

※写真:富士家オリジナルのグッズが並ぶ空間から表の窓までが、当初の店舗のサイズだった。

隆さん 「今でこそキャンプ場ができたり、イベントがあったりと、冬でも観光客の方々が来てくれるようになりましたが、30年前までの沖縄は、夏だけ大忙しで、冬になると閑散としていたので冬場は経営に苦しみました。当時はお金の余裕もなかったので、直せるものは、全て自分たちで直したり、作ったりしていました。」

※写真:隆さんがデザインしたグッズが並ぶ店内

転機が訪れたのは、お店のオープンから3年目、「ジャスコ那覇店(現・イオン那覇店)」がオープンした事だった。

それまでは、デリバリー営業のみだったが、大型商業施設の中で、お持ち帰り用のぜんざいを販売し始めた事で、「富士家」の名前が一気に広まった。

隆さん 「ジャスコ那覇店(現・イオン那覇店)が出来るまでは、デリバリー営業しかしてなかったんです。ですが、大型商業施設ができたことで、これまでの経験(お客様の食べる時間に合わせて氷の硬さを調整する。)を生かせば、お持ち帰り用のぜんざいを施設内で販売できるのではないか?お客さんも喜んでくれるのでは?と、思いついたんです。」

※写真:イオン那覇店の富士家

隆さん 「デリバリーの時は、その場で食べる分しか購入出来なかったものが、店舗ができたことで、その場で食べる分+お持ち帰りする分も購入していただけるようになりました。そうして少しずつ、デリバリーから店舗での営業が主に変わっていきましたね。」

※写真:お持ち帰り用のぜんざい

そうして時代と共に変化を続け、お客様のニーズに答え続けてきたぜんざいの富士家。ロゴやお店の外観、雰囲気までも以前とはガラッと変えているのにはこんな理由があった。

隆さん 「以前のお店も、僕は好きだったのですが、やっぱり変わらないといけないと思ったんです。」

隆さん 「あれは今から8年前ぐらい前だったかな?このままだと会社が存続できないっていうのが分かったんです。ですが、新しい取り組みをしようにも、僕たちは創業当時から一緒に働いてきたベテラン勢が多いので、どうしても固定観念がある。僕もそうですけど、中々考えって変えられないんです。じゃあ、どうするか?という話になり、まずはロゴやお店などの“目に見えるものから変えていこう”と、なりました。それが、富士家を存続させたい!という気持ちの現れというか…。当初、この改革は2~3年で終わると思っていたのですが、結果7年ぐらいかかりましたね。」

※写真:入店してすぐ目の前が、厨房&レジ&カウンター席。

隆さん 「それ(改革)と同時に、僕たちの強みはなんだろう?って、あらためて考えた時、デリバリー時代に積み上げた、“お客様の食べる時間に合わせて氷の固さを調整できる”、“1番おいしく食べれるタイミングでお渡しができる。”ことだと思ったんです。
じゃあ、その強みを生かせたまま、多くの方々が足を運ぶ場所は?を考えた時に、コンビニさんだなって思いました。おにぎりやお弁当を温めるため、電子レンジが必ずあるし、なによりこれだけ沢山の店舗に商品があれば、今まで遠くて中々来れなかった方々にもお届け出来るようになるんじゃないか?と思い、そこから色々と話し合いを重ねて、去年の夏に沖縄ファミリーマートさんとのコラボが実現しましたね。」

※写真:ファミリーマートのお持ち帰り用のぜんざい

そうして沖縄ファミリーマートでの販売を始めた富士家のぜんざいですが、当初想定していたよりも早く売り切れてしまい、「買いたいけど、買えない。」との声が相次いだ。

今年の夏こそは、「富士家のぜんざいを食べたい!」と言ってくれる方々みんなが購入できるようにと、冬の間に必死で設備を整え、この夏を迎えた。


隆さん 「よく外部の方からは、「どこで作ってもらっているの?」と聞かれるのですが、今でもうちの工場で100%作っています。去年の夏は、発売後すぐに売り切れてしまい、ファミリーマートさんから、「どこか(外部)に作ってもらうのは、どうですか?」と言われたのですが、味も氷もこだわりがあるので、僕はどうしてもそれはしたくなくて…。」

隆さん 「来年(2023年)の夏に向けて、きちんと設備投資して備えますので、1年待ってほしいです。」とお願いし、今でもうちで作り続けています。」

※写真:富士家の工場マネージャーの友利 昌義(ともり まさよし)さんとファミリーマート用のパッケージに入った富士家の黒糖ぜんざい。
※写真:しっかり味が染み込んだ、ツヤツヤの金時豆。甘い香りが工場中に漂っている。

そんな富士家で働く全員が一丸となって迎えた今年の夏、県内のファミリーマートには「富士家のぜんざい、おいています。」の旗がゆれる。

小さなお子さんと「帰ったら一緒に食べようね♪」と、話すお母様や、お昼ご飯と一緒に買い求める会社員の方々、日課の散歩途中で旗を見つけて入ってきたという老夫婦など、それぞれの笑顔のそばに「富士家のぜんざい」が共にある。

隆さん 「今年は、33年目にして、初めて新年会をしました。去年から、ありがたいことに目が回るほど忙しかったので、働いてくれているみんなへの感謝と労いも兼ねて、開催しましたね。」

こうして、お客様のニーズに合わせて変化を続ける富士家。
隆さんに、今の率直なお気持ちをお聞きすると、こう返してくださいました。

隆さん 「開業1~2年の大変な時期から、だんだん余裕ができて、紆余曲折ありながらも、色んな事に挑戦しました。新しい事に挑戦できるって、すごく楽しいんです。僕は今年56歳になるのですが、常に「皆で一緒に、もう一花咲そう!」って言い続けてきたので、今のこの新たな挑戦をしている日々が、すっごく楽しいんです。(笑)」

自宅の小さな一室から始まった「ぜんざいの富士家」。
平成から令和へと時代が目まぐるしく変わっていく中で、仲間たちと大小様々な波を乗り越えながら、ここまできた。

「変わらないために、変わり続けよう。」そう仲間と言い続けた言葉は、まさに今日の富士家を、そしてなにより隆さん自身を表しているように思える。

変わらぬ味を軸に、笑顔でお客様に寄り添い続ける富士家さんに、ぜひとも足を運んでいただきたい。

そして、美味しいぜんざいを味わいながら、「美味しいね♪」と言い合える、このかけがえのない瞬間を心から楽しんでほしい。

首里石鹸 中里 ゆきこ

【ぜんざいの富士家】
■DATA:〒900-0012 沖縄県那覇市泊2-10-9 月桃荘
■営業時間:6月~9月11:00-20:00 10月~5月11:00-19:00
■お電話:098-869-4657
■定休日:年中無休
■公式サイト:http://www.zenzainofujiya.com/index.htm
■駐車場:有り
※お店裏:3台、斜め道向かい:10台

~取材後記~

お忙しい中、快く取材を受けてくださった隆さん。取材中も取材後も気さくに楽しくお話しいただきました。

弊社のYouTubeチャンネルでは、お馴染みの「甲斐ちゃん」が富士家さんをご紹介させていただきましたので、ぜひ「Youtubeショート」も合わせてご視聴いただけますと嬉しいです♪