先日、宜野湾市内で発掘されたばかりの『野嵩スディバナビラ石畳道』を見学してきた。
琉球王国時代に首里から整備された「宿道(すくみち)」と言う公道の一部で、今年の2月に宜野湾市の史跡として認められたという。
スディバナビラというのは「袖離れ坂」の意味で、「護佐丸・阿麻和利の乱」で、阿麻和利の軍勢に追われた護佐丸の妻が、矢で袖を引き裂かれながらも、子どもを抱えて逃げ切ったことから名付けられたという。
現場はかなりの傾斜で、その歴史的な場面を想像するだけでも、臨場感が溢れた!
今は私の背を超えている息子の後ろ姿を見ながら、幼い頃、抱っこし続けた時の重みがリアルに思い出される。
便利な県道が造られて分断されたり、宅地造成のために壊されて、その姿を消していた場所から、地域の人々の話を聞き、丁寧に調査をして掘り起こされたという石畳は、今後、また人々に親しまれるよう復元するという。
空手道場でお世話になった先輩が、幼い頃、よくこの石畳を使っていたと懐かしんで、当時の思い出を教えてくれた。
歴史的な場所に、知っている人たちの人生も重なり、この土地で生まれ育っていない自分も、愛着と親しみが増してきた。
沖縄での何気ない一日も、そんな記憶の一つになっていく。
よく訪れるビーチも、離島も、少しずつ変化があっても、数年の年月ですっかり様々な思い出のエピソードに溢れ、私たちの『色』を持ってきた。
野嵩スディバナビラ石畳道が復元されたら、母や息子を連れて、また思い出の一日を重ねにいきたいと思う。
ライター
首里石鹸 白鳥恵子