ある日テレビを見ていたら、夫が突然「ガチなシーサーを作りたい」と言いだした。
出不精の夫がそんなことを言うのは珍しく、そういえば最近、仕事以外で集中してなにかを作ることなんてなかったなぁと思いたち「いいね、やろう」と即答した。
そして体験当日。いざシーサー作り!と張り切って作業机を見ると、そこには土のカタマリと筆、スプレーが。こんなにも形がない状態から作るの…?と不安になった私の予感は的中。「ガチなシーサーづくり」は思ったよりも「ガチ」で、ゼロの状態からシーサーを作る体験だった。
隣を見ると、器用な夫は手際よくどんどん作り始めている。これはもうやるしかないと腹をくくり、土台作りをスタート。要領を得るのが遅い私は土台作りに1時間かかり、なんとか完成した土台はなんとも言えない不気味さを放っていた。
ちんすこうのような足に白玉のような目、マウスピースのような口元、牙はなぜかひまわりのように外に向かって伸びている。夫がこちらをチラ見して笑っている。これ、本当に、シーサーになるのだろうか…。
やるしかない、と腹をくくり、無心で作り進めていく。この時点で夫のシーサーはかなり完成度が高く、格差にむっとした私は「早く終われ」と思いはじめていた。
が、細かい絵柄に取り掛かると、今までの苦労が嘘のように楽しくなり…
気付けば近年まれに見る集中力を発揮し、時間は大幅にオーバー。4時間半かかってシーサーは完成した。
決して素晴らしい出来だとは言えないものの、なんとも愛嬌のあるシーサーになったのではないだろうか。ちょっとしゃくれてるし、所々不揃いだけれど、個人的には満足だ。
ふと、新しいことをするってそうだよなと思う。最初はめんどくさい。とてもめんどくさい。慣れるまで、うまくいかない。それがまためんどくさい。
だけど分かってきたら楽しくなる。夢中になる。
そういう体験を、大人になるにつれて放棄してしまってたな、と思う。面倒を超えていく気力がなくて。だけど、ちゃんとやらなきゃなぁ。最初の面倒を超えることでしか、新たな楽しみに出合う機会は作れないのだから。
完成したシーサーは、もちろん夫作の方が上出来だった。だけど私の作ったシーサーだってかわいい。ちなみに私が作ったシーサーのモデルは夫。激しめパーマの夫を真似て、渦巻きをたくさん作った力作なのである。
ライター
首里石鹸 三好優実